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「北海道廃止ローカル線の旅」へようこそ!
私は高校時代に北海道を列車で訪れて以来、北海道のローカル線の魅力に取り付かれてしまい、
以後何度も訪れることになりました。しかし、ちょうど私が北海道のローカル線に興味を持ち始めた頃、
国鉄再建法にもとずき、北海道の赤字ローカル線の廃止が次々と決まってしまいました。

このホームページに掲載されている写真は私が廃止直前に乗車した時に撮影したものがほとんどです。
実際にローカル線に乗車してみると、まったく人気のない草原や林間を走る路線が多く、
よくこんな所に線路を敷いたものだと感じますが、北海道の開拓の歴史をひもといてみると、
駅というものは特別な存在である様に感じます。

はじめに駅ありき、その後駅の周辺に家が建ち、人々が生活し、町が形成されていく
北海道の町というものはそのほとんどがこのように形成されてきました。
そしてその駅、鉄道を廃止したら町自体のバランスがおかしくなってしまうのではないかと個人的には思いました。
しかし残念ながら当時は、国鉄が赤字なのはローカル線が原因のごとく報道され、
廃止の風潮がおさまることはありませんでした。

が、しかし!昭和60年を目途に廃止対象になった全国のローカル線の赤字の総計は
国鉄全体の赤字のうちわずか約8パーセントに過ぎませんでした。
(東海道本線の赤字が年間1300億円、国鉄全体の約13パーセントもあるのに
この経営体質改善よりも安易に赤字ローカル線を廃止にするのはおかしい。と宮脇俊三さんもおっしゃっておりました。)
やはり、私も国鉄が体質改善を怠ってきたつけがローカル線にまわってきたと感じます。
(モーターリゼーションの影響ももちろん大きいのですが...。)

まあ、いまさらこのような事を言ってもしょうがないのですが....そうです!!
廃止されてしまった路線はまず二度と復活することはない、取り返しがつかないものなのです。

と、昔の国鉄の体質に腹を立てながら、そして当時の気分に浸りながらこのホームページをつくってみました。
写真はインスタントカメラで撮影したものがほとんどなので、たいした写真もなく
構図も良くないと思いますが、このホームページを見て少しでも当時を偲んでもらったり、共感してもらえれば幸いです。
特に士幌線、深名線(深名線は最終日に終日いっしょにいることができました。)は私の大好きな路線ですので、
是非ご覧になっていって下さい。
あと、廃線後の写真は、私が約六年間北海道で暮らしていた(北見市と津別町)時に撮影したものがほとんどです。(現在は東京在住)

ホームページの性格上、今後大幅な更新は難しいですが、出来る限り充実した内容にしていこうと考えておりますので、今後もよろしくお願いします。





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